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Estonian Philharmonic Chamber Choir; Estonian National SO, Tõnu Kaljuste – In Principio (2003): 1. In Principio Erat Verbum (204 plays)

-Arvo PärtIn Principio-

アルヴォ・ペルトは大学時代にお世話になった先生から借りた

「spiegel im spiegel」で知った。

大好きなミヒャエル・エンデの傑作と同名(おそらくこれがモチーフ?)

ということもあり、制作中に聞くことが多い。

レーベルもnew ECM ということもあって、興奮したのを憶えている。

これ以前にポストされたyama-batoさんのポストが

いよいよ日本公開されるソクーロフ監督の「ファウスト」

のポスターだったこともそのひとつだけど、

こういう共時性がにわかに起こりうることに感動してしまう。

記念に記す。

thank you,yama-bato

(Source: pixandum, via yama-bato)

ニーチェ

怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

十一夜「東へ」

「東」へ伸びる、長い行列は、

赤い服を着た人びとによってなされていた。
それは「西の果て」から、「東の果て」へと続いている。
一様に、ゆっくりとした、しかし、
澱みのない速度で、その行列は進んでいる。
行軍ラッパと鼓笛隊のリズムが、遠く
「西の方」から聞こえてくるが、姿は見えない。
行列の中には、老いたものから赤ん坊まで、
男も女も居る。
列を乱す者が出ることもあったが、
そいつは大抵、その場で粛正されるか、
自ら赤い服を脱いで、列から逸れていった。
行列は砂漠を越え、山を、海を越えて、
何処までも続く。
ただひたすらに、「東」を目指して。
赤い服の人々は、
行列の中で生まれ、行列の中で死んでゆく。
時々、違う服を来た人びとの行列と交差する時があった。
そのときは、決まって殺しあいが起こった。
列と列が交わるあたりで、男どもが、武器を持って戦うのだ。
遠く「東の彼方」で、戦いの音が聞こえると、
「西側」の者達は酷く怯えた。
交差する地点より「東側」の者達
(いつもほとんど女と子供だけだったが)
は、歩みを止めることなく、だが常にを振り返りつつ、進んだ。
「東」へ。
交差点で、何故殺しあうのか。
その理由はいつも決まっていた。
自分たちが目指す方向こそ「東」だ、
という双方の意見がぶつかるのだ。
しかしどちらの行列も、
その爪先の向きを変えるつもりはなかった。
自分たちの行く方向こそが、
「東」であると信じて疑わないからだ。
コンパスすら持たない彼らには、
一体「東」に何があるのかを知る者は居なかったし、
そして当然、自分たちが進む方向が、「東」であるという、
確たる証拠もなかった。
だが、人びとは信じた。
目に見えぬラッパと、鼓笛隊のリズムに合わせて、
「東」へと進むだけだった。
じつはこのあと間もなく、
数千年にも及ぶ、この「東」へ進むすべての行軍が、
一斉に停まる事態が起こるのだが、
それはいったい、どんな理由であったのだろうか。

十夜「気象台から」

超新星の爆発から、気象台の観測師達は、
やにわに慌ただしい毎日を過ごしていた。
何しろ、その日から毎日の天候、湿度、
気温の変化が甚だしくなったからだ。
それまで、その気象台のある土地は、極めて単調な天候を、
少なくともここ数百年の間保ち続けて来た。
つまり、そこは砂漠であった。

ごく稀に、朝霧が降ったり、あるいは、奇跡的に
雨が降ったりすることはあったが、
ほぼ毎日、観測師達は、
「南の風、晴れ、時々、砂嵐。湿度20パーセント、最高気温45度、最低気温2度」
という予報とも呼べない観測報告を、機械的にくり返して来た。
それがあの妖しい星の瞬きから、それまでの職務怠慢のつけを、
いやというほど味わうことになったのである。

砂漠に雪が降り、霜がおり、雹が降った。
それならまだしも、ときおり魚や、瓢箪が降って来る始末なのだ。
国中が大混乱に陥った。

「気象台」とは名ばかりの、サロンのような高雅な国家施設は、
たちまち使い慣れない気象観測用の機材で埋め尽くされた。
観測師達はその混沌を極めた状況に、初めは困惑していたものの、
徐々に異様な興奮に支配されつつあった。
雲が浮かぶことすら珍しかったこの土地で、
気象観測など、道楽としか捉えられなかったというのに、
今や、人々の期待を一手に担う、意義の深い職務へと一変したのだ。

当然のことだが、観測師達は大学で気象について学んでいたので、
一応、予測の的中率はそれなりにあったはずだった。
しかし、現在のこの土地の天候は
最早異常を通り越して、奇天烈ですらあった。
従って、予想はほぼ完全に外れた。
しかし、人々は予報に縋った。

でたらめでも何でも良かった。

とはいえ、博打打ちが賽子の目を当てるかのように、
観測師達は明日の天候を予測し続けた。
毎日、毎時間、毎分、毎秒、克明な記録を採り、
その履歴から予測するものも居たし、
ナマズを飼育して、その生態観察から予測するものも居た。
毎日倦むことなく、翌日の天気についての激論が交わされた。

しかし、観測師達の情熱をあざ笑うかのように、それは悉く外れた。

研究は次第にまじないじみたものへと変化していった。
まず手始めに、西風に乗ってやってくる渡り鳥を捉え、
その羽の色合いから明日の天気予想した。
結果は、晴天。かつてのような、普通の砂漠の気候である。

予想と符合したといえなくもない、この偶然が、
観測師たちの、この手の探究心に火をつけた。
そして彼らがたどり着いた結論、
即ち、「街で一番の美女を生け贄としてささげると、しばらく好天が続く」
という研究成果が発表されるまでに、そう長い時間はかからなかった。

哀れな犠牲者の悲鳴が虚しくこだました、その翌日の空模様は
はたして、どんなものであっただろうか。

九夜「配達人」

醜い老婆のレズビアンが、
あられもない姿で交わっている写真。
配達人の事務所の壁には、それが額入りで飾られている。
塵芥と見まごうばかりのくず野菜が浮かぶ、
塩水のようなスープ。
配達人はそれを啜っている。
床は水浸しだ。冷たく、濁った水が淀んでいる。
配達人はそこに横たわり、浅い眠りにつく。
小さい虫が這い回る、堅い麻の繊維で出来た、
ずだ袋の様なお仕着せ。
配達人はそれを着たきり、一度も脱いだ事が無い。

配達人は係のものから手渡されたものを、
指定された届け先へ配達する。
配達するものは大きさも重さもまちまちなのだが、
それが何であるかは解らない。
ただ一つだけ解っていることといえば、それは、
配達人が運ぶその品を、誰もが待ちわびている
ということだろうか。

配達人を受け入れる人々は、狂ったように彼を迎え入れる。
みすぼらしく、不潔で、醜い配達人をだ。
受取人はすべからく配達人を手厚く歓待する。
配達人は黙ってそれを享受する。
それも責務であるかのように、さして嬉しそうにもせず、
黙々と。

受取人が受け取ったそれ、配達人が届けたそれが
なんであるかを、配達人は興味を持たない。
饗宴の余韻に浸るいとまもなく、配達人は塒へ帰る。
一仕事終えたという充実感すら、配達人は感じていない。

帰りしな、配達人は密やかな趣味に興じる。
小石を拾って、それで、どこぞの家のものでもいい、
窓ガラスを割るのだ。
時折悲鳴があがる時があるが、その時は「あたり」だ。
配達人は小さく嗤う。
誓って言うが、その笑顔はすこしも歪んでなどいない。

そして配達人は事務所に戻り、くず野菜のスープを啜り、
レズビアンの婆様の写真を眺めつつ、水浸しの床で眠る。

配達人は小さく咳をする。

はたして、配達人が届ける品物とは、
一体どんなものなのだろうか。

八夜「乞食と使者」

黒く深い森の中央を抜ける街道に
何の為にか、停留所が一つあった。

その停留所に、盲いた若い乞食が一人居る。

片手にはひとひらの切符が握られていた。
それにはたった一言

「何故」

と印刷されていたが、
盲目の乞食には、当然読めるはずもなかった。

「使者が来たらこれを渡し、共に行きなさい。
 それまではここで待って居なさい」

昨日乞食に切符を渡した人物は、
ただそれだけを言って去っていったのだ。

朝靄の中、街道をバスがやってきた
園児達を乗せた、学校行きのバスだ。
お揃いの制服を着た子供達は喧しく
乞食には一瞥もくれなかった。

行き先を示す板にはこう書かれていた。

『明日の曙。託された希望と共に築く未来』

乞食は第一の使者に切符を見せた。

運転手はただかぶりを振り、
ドアを閉めると、バスを出してしまった。
若い乞食は当てが外れた事を悟り、嘆息した。

正午が過ぎようとしていた頃、二人の若者がやって来た。
一人は芸術家で、もう一人は学者だった。

『美しいものは全て朽ち果てる。故に儚きものこそが美しい』
『美しいものは全てが絶対の存在だ。故に永遠こそが美しい』

彼等は議論の最中だったが、
二人とも互いに持論を譲る気配はないようだった。
ほぼ同時に、彼等歩みを止め、乞食に問うた。

「同胞よ、君はどう感じる」
「同士よ、君はどう考える」

乞食は第二の使者に切符を見せた。

二人の若者は首を傾げ、低く嗤うと、
議論を再開し、また歩き出してしまった。
盲目の乞食は再び期待が外れた事を知り。肩を落とした。

日が西に傾き、夕焼けが森に最後の陽光を浴びせる頃
ふらふらと自転車に乗った娼婦がやって来た。
顔の至る所に付け黒子をつけた娼婦は
夜が来る前だというに、既に酒に酔っている。
酒瓶に貼られたラベルにはこう書かれていた。

『明日をも知れぬ身とすれば、今日快楽に耽るが愉しき』

乞食は第三の使者に切符を見せた。

娼婦は蔑みを隠しもせぬ仕草で乞食に切符を突き返し
「あんたは乗せられないわ」
と言うと、再び自転車を漕ぎ始めてしまった。

盲いた乞食は三たびの失望に深く呻いた。

やがて夜も更けた頃、星も見えぬ曇天の下、
暗闇を引き裂くようにして馬車がやってきた。
車輪だけが鮮血を染めたかのような赤で、
それ以外は夜に似せたかの様な漆黒に塗られた馬車だ。
蒼ざめた馬は痩せこけており、
それが引くのは空の棺桶だった。
馭者は死神だ。

『吾は奪う者也、但し吾を拒む事能わず
 吾は与う者也、但し吾を望む事叶わず』

棺桶にはそう刻まれていた。

死神は骨張った手で檄鉄を起こし、銃口を乞食に向けた。

何も解らぬまま、ただならぬ気配に怯え
乞食は第四の使者に切符を見せた。

死神は何も言わず、乞食に向けた銃を収めたかと思うと
蒼ざめた馬に鞭を振るい、宵闇へと馬車を駆っていった。

永い一日の中で遭遇した
三たびの失望と一たびの安堵に疲れきった乞食は
やがて深い眠りに就いた。

翌朝、盲いた若い乞食は、訪れた第五の使者に切符を見せ
ようやく共連れの旅に出る事になるのだが、

果たしてその使者は、
どのような姿で、どのような言葉を彼に示したのだろうか。

七夜「令嬢と鯨」

あなたのような、大きななまりのくじらが
どうやってわたしのプールに入りこんできたのかも
どういうことなのかはわからないけど

わたしはあなたを見つけた時から
こんなおばあさんになるまで
あなたをつり上げることにむちゅうになってしまったの。

だってあなたの口の先には、きん色の輪っかが
ぴかぴか光っていて、それはいかにもあなたが
「わたしをつり上げて」
といっているような気がしてならなかったんだもの。

まだあのころは若かったお父さまのつりざおをかりて
まだあのころ小さかったわたしは、
お父さまがなくなったときも、
お母さまがわたしをおいて出ていかれたときも
やしきにいただれもがわたしをおいて行っちゃったときも

あなたの口の先にあるきん色の輪っかに
はりをひっかけることにむちゅうになってしまっていたの。
あなたをつり上げることにむちゅうになってしまったの。

プールのなかであなたは
すこしずつとけてなくなってしまうけど
もうすぐあのあなたのきん色の輪っかは、
わたしのものになるの。

でも、それははたして
わたしがあなたのものになるってこと?
それとも、あなたがわたしのものになるってことなの?

六夜「死者の賽子」

死者である女が目覚めたとき、
手に数枚の硬貨が握られていた事に気づいた。

しばらく手にした硬貨を眺めて
それが生前暮していた国のものである事はすぐに思い出せたが
一体それが死者である彼女にとって何の意味があり
そしてどんな価値があるのかは皆目見当も付かなかった。

女は周りを見渡した。
薄暮の中、其処が駅のような施設である事は
敷かれた単線の線路と、今さっき彼女が目覚めた場所が、
低いプラットホームのようなものである事で
気づく事が出来た。

女は立ち上がり、ふらふらとあたりを彷徨うと、
間もなく線路はすぐに行き止まり、
其処が「終着駅」である事をも知った。

「こちらでご購入出来ますよ」

傍らで女の声がした。
すぐそばに小さな売店があった事にも気づかず
驚いて彼女は振り返った。

声の先を見ると、小さな箱形の売店の中で、
身なりの良い初老の女性が微笑んでいた。
大小様々な品物で埋め尽くされた売店の商品は
近づいてみると、すべて賽子であった。

死者である女はおずおずと、手にしていた硬貨を
初老の女性に手渡した。

微笑みを絶やぬまま、初老の売り子は丁寧に硬貨を数え
「全部で13シェケルと20シェムザール」
と答え、棚から一対の賽子を取り出し、女に渡すと
続けて「はい、お釣り」と、釣り銭を手渡した。

初老の売り子から貰ったそれは、見知らぬ硬貨であったが、
女は気にしない事にした。

「向こうのトンネルがスタートよ、良い旅を。
 でも気をつけて、賽の目以上歩いては駄目。
 振り出しに戻ってしまうわ」

優しげに、しかし注意深く、初老の賽子売りは女に忠告した。
それ以外の表情をした事がないかのように
微笑みは遂に絶やさぬままだ。

賽子売りが指差した方向には、
大きなトンネルが口を開けていた。

死者である女は訝しげに賽子を眺めた。
親指の先ほどの大きさの賽子で、数字の刻印が施された面には
それぞれ違う色の彩色が施してあった。
まだ新品で、角は鋭利に尖っていた。

女はトンネルの入り口に立つと、掌の中で賽子を振り
地面に転がした。

出た目は4と6の『10』だ。
死者である女は、ゆっくりとトンネルの中に足を踏み入れた
一歩ずつ、正確な歩幅で、10歩。

ためらう事なく、女は賽子を振り、出た目の数だけ歩き、
また立ち止まっては、賽子を振った。

途中幾度か振り返っては、スタートである
トンネルの入り口を見たが
着実に歩数を進めている事を確認できると、
やがて女は振り向く事を辞め、延々と賽子を振り、
出た目の数だけ歩く事を繰り返した。

途中、疲れる事もなく、空腹もなかった。

トンネルの中は、暗くはあったが、
賽の目がはっきりと見える程に明るかった。
女は作業に没頭した。
何度賽を振り、何歩歩いたか。
何時間が、何日が、何年が経ったか。

女はこの賽子が、もしかしたらある一定条件で
確率が決まっているのではないかと思いあたり、
必死で出た目を順番に憶えようとした。

11、3、5、9、2、2、7、12、・・・

何かの見えない力で、遠く及ばぬ存在が女の賽子を操り、
女にこの行為の意味を探らさせようとしているのではないか。
と、考えたのだ。

だが、それはすぐに辞めた。
何の意味もない行為だと気がついたからだ。

女は作業に没頭する事を再開した。

また永遠とも思われる時間が経過し
更に延々と歩数を進めて行くと、
女は遂にある条件に気がついた。

一定の数字が出ると、些細な記憶の断片が、
ほんの少しずつ蘇ってくるのだ。
その条件に気がつくまでに、彼女の生前の
記憶の断片は、女の一生の輪郭を
ほぼ全てなぞるまでになっていた。

今や女は取り戻した人生の記憶の全てに
後悔し、反省していた。

年取らぬ死者である女は、随分と永い間
自己を嫌悪する渦の中で過ごした。
苦悶は想像を絶した。

賽子を振り、出た目の数だけ歩むことは既に
完璧な習慣となって、それは女にとっては
呼吸をするよりも自然な動作になっていた。

そしてある時、もうすっかりすり減った賽子は
地面に転がる瞬間に、粉々に砕け散った。

気がつくと、
女は林檎の木の枝に引っ掛っていた。
女は雄の蟷螂であった。

蟷螂は全てを憶えていた。
賽子の記憶も、それによって蘇った記憶もだ。

照りつける真夏の苛烈な陽光と、
記憶による自己嫌悪に喘いではいたが
ようやく得た解放に、少なからず女は安堵した。

しかし、死者である女であった蟷螂は、
生きながらにして妻に喰われるまでの、
やがて来るべく定めに関しては、知る由もなかった。

果たしてその時、
死者である女であった蟷螂が感じるのは
さらなる絶望であるだろうか、それとも
新たなる希望であるだろうか。

五夜「終身刑」

男は遠い道のりをたどり、ついに故郷に帰還した。

帰って来た、というべきでは無いかもしれない。
正確に言えば、逃れて来たのだ。

男は脱獄したのである。

彼は人を殺した。
直接にでは無いが、どう有れ
若い娘の命を奪った事に変わりはなかった。

過去、妻子の有る彼は、
一瞬の誘惑に勝てずに、若い娘を勾引した。

蜜は、その甘さが濃厚な分だけ涸れるのが早いように
ご多分に漏れず、二人の密やかな逢瀬は長くは続かず、
不実の子を孕んだまま、
絶望した娘は自らの命を絶ったのだ。

娘が死んだ翌日
役人は彼の家を訪れ、罪状を明らかにした後で
速やかに男をを勾留した。

妻は何も知らなかったが
男は黙って法に従う他は、なす術が無かった。

陪審員の齎した判決
「終身刑」が言い渡されたのは、もう遥か昔の事である。
牢獄で毎日を暮らす男は、日々の感覚を忘れていた。

黴臭く冷たい牢獄の中で、彼は自らの罪を悔いた。
太い鉄格子がはめられた、小さな窓の外からは
何も臨むことは出来なかった。
牢獄の外は常に濃い霧に包まれ、小雨が降っていたからだ。

幾つもの昼と夜が過ぎていくうちに、男は老いていった。
彼に科された罰は、ただ罪を悔い、老いていく事だけ。
その他の苦役は彼には与えられなかった。

ところがある朝、男がいつものように悪い夢から醒めると、
不思議な事に、目の前にある牢獄の扉が、
かすかに開いているのが見えた。

男は自分の目を疑った。
まだ夢を見ているのではないかと
何度も疑った。

しかししばらく時が過ぎても
守衛の現れる気配はなかった。
男は何も考える事が出来ずにいたが、
ついに男は逃げ出した。

長い廊下にも、高い塀の見張り台にも、
そしてあろう事か
外界と牢獄を隔てる、あの厚く重い門扉の間にすら
誰もいなかったのである。

外に出ても人の気配はなかったが
それでも彼は人目を避けて、男は森を駆けた。
目指すのは、妻と子が居る、故郷だった。

遠い道のりを、彼は心の命ずるままに駆けた。

家路までの逃避行が始まって
男が「終身刑」の本当の意味を知るのに
そう時間は掛からなかった。

行く先々に濃い霧が辺りを覆い、周囲の景色を殺しており
たどり着いた街や村の何処もが、
廃墟のように静まり返っていた。

そしてさらには
その全ての建物の扉という扉、窓という窓に
太い鉄格子がはめられていたのである。

まるで街や村、というより、世界そのものが
常に招かれざる客を拒んでいるかのようであった。

男は脱獄してもなお、囚われの身という立場からは
決して逃れる事が出来ないのだった。

それでも男は、我が家への放浪を続けた。
目的地にたどり着いた時のことなど、
もうどうでも良くなっていた。

永い年月を経て、迷い、苦しみながらも、
そうして男は遂に妻と子の居る村へたどり着いた。
霧はいつの間にか晴れていた。
薄暮であった。

男は呆然と立ち尽くし、見慣れた風景を眺めやった。
村の家々に鉄格子のはめられた戸や窓があっても
仕方の無い事だと、彼は諦めきっていた。

しかし驚くべき事に、彼の本当の目的地である場所には
それが無かった。村は静まり返ってはいたが
あの鉄格子が無かったのである。

ようやっと赦されたのだ。

家に着いた時、男はそう思った。
役人が訪れた時と、何も変わっていない戸口に男は近づいた。
おずおずと戸をノックすると、返事は無い。
留守にしているのかと思い、取っ手に手をやると
扉はあっけなく開いた。

何年ぶりであろうか
あの牢獄の扉を開けて脱獄して以来
男は扉を開ける事は出来ないままであった。

懐かしい我が家。
その屋内は薄暗く、中の様子はよく解らなかったが
彼が感じた安堵は、深く濃いものであった。

そして住み慣れたはずの場所で深く息を吸った時、
背中に悪寒が走るのを男は感じた。

黴の匂い。

恐る恐る窓に目をやると、
そこには鉄格子がはめられているのがはっきりと見えた。
知らぬ間に外には濃い霧が立ちこめ、雨が降りだしていた。

信じたくはなかったが
そこは、紛れも無く彼が捕われていた場所であった。

果たして自分は、
一体どの時の事を後悔すれば良かったのだろうか。

そう思った瞬間
男は背後に、重い鉄の扉が閉まる音を聞いた。

四夜「ジビエ」

寒さのせいなのか
せむしの男は手を擦りあわせていた。

彼の目の前には
糸を紡ぐ女の姿があった。
しなやかな指先を使って紡錘(つむ)を回し
糸車もないのに、実に器用に糸を紡いでいる。

男はあっという間に魅了された。

紡ぐ女にか、その糸紡ぎの技にかは解らない
もしかしたら、その両方だったかもしれない。
せむし男は手を擦りあわせながら
半歩ほど女に近寄った。

女は男が近寄ってくるのに気付き
こう言った。

「ご覧のとおり、私の両手は今塞がっています。
 これ以上近づいてはいけません。人を呼びますよ」

そう言われて男は立ち止まり、
しばらく間、ありったけの賛辞と
歯の浮くような台詞で、女を口説きに掛かった。

「貴女の指先が繰るその糸は絹の様に細いのに、
 その輝きはまるで・・・」

その間中も女は糸を紡ぎつつ、
驚くべき事に出来上がった糸で
ショールを編み始めた。

男は半歩近づく。
女は紡ぐ手も、編む手も止めずに
こう言った。

「お待ちください旦那様。ご覧の通り
 今は両手が塞がっておりますが、この編み物が終わるころ
 暖かい赤ワインとジビエが私のもとに届きます。
 それまではどうか、今しばらくお待ちくださいませ」

せむし男は恋の成就が目前に迫った事を知り
甘い苦悶に身をよじらせ、頭を掻き毟る。

紡ぎ織る女を抱きしめるまでには、あと半歩だ。

擦りあわせた両手を広げた時
女は編んでいたショールで、暖かく男を包んだ。

男は意外な歓待の表現に驚いたが
その暖かい包容に身を任せた。

初めは優しい包容だった。
だが次第にショールは
男の動きを完全に止める程にきつく縛り上げるに至った。

興奮した男は、咄嗟に女の唇を奪おうとしたが
その刹那
女の唇は彼の喉元に吸い付いた。

確かに女はこう言った。

「この編み物が終わるころ、暖かい赤ワインとジビエが
 私のもとに届きます」

暖かい赤ワインとジビエとは、
このせむし男自身であったのだ。

彼女の喉が潤う度に、男の意識は遠のいていったが
このとき彼は、うっとりと恍惚の表情を浮かべていた。

はたしてこの時、より幸せだったのは
せむし男か、糸紡ぎの女の、どちらだったのだろうか。

三夜「王の処方箋」

王は医者であった。

自分を医者だと信じていた、
と言った方が正確かもしれない。

王は政治や軍事には、一切無関心であった。
毎日のように狭い研究室に閉じ籠り、
取り憑かれたように「新薬」の開発に没頭する。

「新薬」が完成するたび、王は狂喜したが
決まって間もなく、特有の強迫観念に駆られるのであった。

この薬を早く患者に投与しなければならない。
この薬でなければ治らない病気が、きっとあるはずだ。

王は裁判で裁かれた罪人を患者とした。
罪を犯す人間は、必ず何かの疾患を持っていると
信じて疑わなかったのだ。

詐欺師でも殺人犯でも泥棒でも
その罪状をカルテに標し、その「症状」に応じて
自らが開発した薬を処方した。

結婚詐欺の男は「心因性のリューマチ」だと診断され
牛の腐った胆汁と甘草に、水銀を混ぜた薬を与えられ
半身不随となった。

蜂蜜を盗んだ少年は「先天性の肝硬変」と診断された。
王水とアンモニアの混合液を点滴され、
その日のうちに泡を吹いて死亡した。

王はたいてい投薬の結果に満足しなかった。

誰一人として、薬を投与された罪人が
「完治」する事はなかったからだ。
王は新薬の開発を辞める事はなかったが
自分が作り出す薬に、ある種の罪悪感を募らせていた事も
また確かだった。
その点のみにおいて、王は善良だったと言える。

真冬の迫ったある日、研究室で王は
今までに無いような痛みをこめかみに感じた。
全身が怠く、体の節々も痛い。
寒気がするので、熱もあるようだ。

この症状は・・・

この後、自らを診断した処方に従って服用した薬は
果たしてどんな「効能」を王に与えたのだろうか。

二夜「給仕の誇り」

給仕は廊下を歩く。

銀製の盆を片手に、肩の高さまで掲げ
もう片方には、絹のナプキンをかけている。

赤い毛氈の上を、2時間前と同じペースで歩く。
姿勢も全く崩さぬままだ。

給仕の額には、うっすらと汗が滲んでいた。

巨大なこのホテルには、2億ほどの部屋がある。
馬小屋のような粗末な雑魚部屋から、
一泊で全ての部屋を観きる事が出来ない程
広く豪華なスィートルームまで。

その広大なホテルの客室の一つから、
ルームサービスを依頼されたのは、半日ほど前の事だ。

195075542号室

熟練の給仕は、網の目のように張り巡らされた廊下や回廊、
そして地上50階、地下10階を昇降するエレベーターを使って、
縦横無尽に接客に応じる。

ただし、フロントからあまりに遠い部屋の場合は
今のように、半日以上掛かる場合もあるというわけだ。

フロントに電話があったのは午前6時。
「オレンジジュースと、熱さ4センチに切ったトーストを
 片面だけ焼いて、カリカリのベーコンを挟んで欲しい。
 それと卵を5つ使った卵焼きも忘れずに」

それを2人分。

とうに昼は回っており、腕時計は午後3時を指していたが、
給仕は注文のあった部屋に、朝食を届けている途中であった。

空中庭園に設けられたプールに人影はまばらだった。
廊下にしつらえた生花はハイビスカスだ。

給仕は丁度170000000の部屋を過ぎた所であった。

ホテルでは全ての屋内に空調を利かせていたが、
半日同じ姿勢でルームサービスを届ける給仕は
平静を装いつつ、暑さと空腹に喘いでいた。

午後7時を回った所で、ようやく給仕は
注文主の居る部屋の前にたどり着いた。

給仕は部屋をノックした。

返事は無い。

いつもの事だ。

前日に届けた同じメニューの乗った盆が
手つかずのまま扉のにあった。
卵は痛みかけていた。

給仕は新しい盆を部屋の扉の前に置き
古い盆を片付けた。

ここでいつも給仕は思う。
もう一度扉をノックし、主人の所在を確認するべきかどうかを。
何しろ同じ事がほぼ半年程続いていたからだ。

しかしこの日も給仕は、言いつけ通りの業務を果たし
古い盆を持つと、フロントへと戻った。

復路の際、そっくりそのまま遺されたメニューを
こっそりと腹におさめつつ、給仕は一日の業務をを終えた。

給仕はこの半年の間、今までに無い平安を見出していた。

果たしてこの給仕は、何時件の部屋をノックし
部屋の主人の所在を確かるのだろうか。

一夜「寡婦と林檎売り」

明らかに大きさの違う林檎が二つ
白い皿の上に載っている。

街道の傍らに店を出している
年老いた男の商ぐ品は、それだけだった。

寂れた街道に行き交う人は少ない。
年老いた男は売り物をじっと見つめている。

一つは子供の握り拳ほどの大きさしかないが
鮮血で染めたかのように赤く、
磨かれた金属のように輝いている。

もう一つは南瓜ほどもある大きさだが
表面には細かいひびが縦に走り、
色もなんとか”赤”と呼べる程度の鈍い朱色だった。

夕暮れ時、丘の上の糸杉が東にむかって長い陰をおろした時

貴婦人は葬儀から帰る途中で、この風変わりな店を見出した。
往路にはこの店を見かけなかった事が気がかりなのも手伝い
ついに馬車から下り、老いた林檎売りに訪ねた。

「この林檎はおいくらでお譲り頂けるのですか?」

林檎売りは答えた。見た目からは想像もつかない若い声だ。

「こちらはどちらか一方しかお譲りすることは出来ません」

年老いた林檎売りの説明はこうだ。

一方の林檎は、
小さいがこの世にあるどの食べ物よりも甘く美味い。
これを食べたが最後、
どんなものを口にしても満足出来ない程の味がする。

そして

もう一方の林檎は、
一人で食べれば又とないほど苦く酷い味がする。
しかしこれを切り分け、人に分け与えたならば
その味は分け合えば分け合っただけ甘く美味くなる。

「御足は頂きません。
 お召し上がりになった林檎の種を、
 お庭に埋めて頂ければ、それで結構です」

この日の朝、
夫の葬儀を終えたばかりの若い貴婦人は
はたしてどちらの林檎を選んだだろうか。

宜なるかな

ああ宜なるかな

悍馬の嗎(いななき) 早春の雷鳴の如く

かの鬣(たてがみ) その白きこと残雪の如し

東雲(しののめ)の散り散りたる様

蕭条(しょうじょう)として凛たり

マーク・トウェイン

大きな夢を汚す人間とは距離を置きなさい。 
たいしたことない人間ほど人の夢にケチをつけたがるものだ。 
真に偉大な人間は自分にも成功できる思わせてくれる。